【歴史】なぜ戦後の歴史教科書に神武天皇は登場しないのか “中国の主張”に引きずられる学界

1 :樽悶 ★ 2019/10/08(火) 06:13:10.70 ID:QsdIuRbT9

推古天皇陵とされている山田高塚古墳=大阪府南河内郡太子町山田

前稿では、『日本書紀』に見える、教訓にすべき朝鮮半島との関係史について触れた。朝鮮半島を考えるうえで当然、避けて通れないのが中国との関係である。

戦後の歴史教科書では、古代日中関係は漢王朝への臣下の礼や、邪馬台国による魏への朝貢の話から語られ始めるのが定番である。

前者については、中国側史料である『漢書』『後漢書』の記述のみならず、江戸時代に博多湾の志賀島(しかのしま)で発見された「漢委奴國王」金印によって裏付けられる。

ただこれは、日本が国家として中国に服属していたということではない。地方豪族が、漢の皇帝より(勝手に)「王」の称号を授かり、その威光をバックに活動していたというだけである。

後者の邪馬台国については、『三国志』中の「魏志倭人伝」のみに記され、『日本書紀』を含む日本側文献には一切登場せず、物的証拠もない。

ところが、戦後の歴史教科書では、『日本書紀』に記された日本建国の経緯が描かれず、初代神武天皇すら登場しない一方で、「邪馬台国」「卑弥呼」は、ほぼすべての教科書で目にする。

中国側の侮蔑的表現が、そのまま史実であるように描かれるのは、「反天皇/親中国的な思想」を持つ学者によって、歴史学界が占められた結果であろう。

小学生時代の筆者が観ていたNHKの歴史番組でも、古代では建国の物語など一切なく、「邪馬台国はどこにあったのか?」といったテーマが人気であった。

『日本書紀』に見る日中関係史としては、遣隋使の話も重要である。

東アジアでは、漢以来の冊封(さくほう)体制(=中国の王朝と周辺国との間の君臣関係)が展開され、それは隋や唐にも引き継がれた。

それに対し、日本は、推古天皇が即位から15年目(607年)に、小野妹子を隋に派遣し、日本の君主は中国の皇帝によって任命される「王」ではなく、お互い対等な「天子」だと称して対等外交を求めたのだ。

この外交思想はその後も引き継がれ、わが国外交の基本理念となる。足利義満が戦前に国賊扱いされたのも、貿易(=朝貢に対する下賜)による利益に目がくらみ、これを崩して中国の明に対して「日本国王」と名乗り臣下の礼をとったからである。

ところが、現在の日本の歴史書では、第1回遣隋使を『隋書』の記述をもとに西暦600年だとして、倭王「阿毎多利思北孤」の奇怪な政治が、隋の文帝にたしなめられる内容となっている。

『日本書紀』はじめ、他の史書にまったく記されていないこの話を、中国の史書に書かれているからと無批判に真に受け、先賢たちをあざ笑う。

一事が万事、昨今の歴史認識問題でも、中国の主張に学界・メディアが引きずられる構図は、このようなところから始まっているのだと思えてならない。

■久野潤(くの・じゅん) 歴史学者、大阪観光大学専任講師。1980年、大阪府生まれ。慶應義塾大学卒、京都大学大学院修了。これまで、複数の大学で、歴史や政治、外交関係の授業を担当するほか、戦争経験者や神社の取材・調査を行う。著書・共著に『新島八重』(晋遊舎新書)、『帝国海軍と艦内神社』(祥伝社)、『決定版 日本書紀入門-2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る』(ビジネス社)など多数。

 

2 :名無しさん@1周年 2019/10/08(火) 06:14:31.19 ID:2gcNiy/Z0

そりゃそもそも存在してないし

 

3 :名無しさん@1周年 2019/10/08(火) 06:17:41.26 ID:2gcNiy/Z0

魏志倭人伝は当時作られた書物
日本書紀や古事記は大化の改新で焚書して歴史を消してから作られた創作でしかない
信憑性が高いのは魏志倭人伝
歴史と言うのは事実を見るものでなければいけない

 

4 :名無しさん@1周年 2019/10/08(火) 06:20:44.31 ID:IfQkxId70

神武天皇


日本人が嘘ついてる

こんな天皇は存在してない

「2500万年前の神話の世界にいた」とかわけのわからんこといってる

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